雛人形と五月人形(その4)
明治時代になり、新政府により五節句の廃止が発令されると、ひな祭り同様に端午の節句も急速に衰えてゆきました。
しかし、ひな祭りがそうであったように、端午の節句も次第に活気を取り戻してゆきます。
その様子を、明治時代中期の生活風俗を記録した『東京風俗志』(平出鏗二郎 著)は次のように記しています。
五月五日の菖蒲節供も、維新の後 頓(とみ)に廃れしを、近年漸を追うて興れり。家々にて男の子あるは冑人形(かぶとにんぎょう)、座敷幟(ざしきのぼり)を陳(つら)ねて飾る。冑人形は一に五月人形ともいいて、一人立には、神武天皇、日本武尊(やまとたけるのみこと)、源頼義、八幡太郎義家、源義経、加藤清正、関羽、鍾馗等、二人立には神功皇后と武内宿禰(たけのうちのすくね)、山姥(やまんば)と金時、牛若と弁慶など多し。
※ 明治時代の「菖蒲太刀(しょうぶだち)」(吉徳これくしょん)
平成の現代でも、五月人形は多くの人たちに愛し続けられています。
そして、兜や鎧と人気を二分する五月人形は、ひと昔前に比べて優しいわらべ顔のものが主流になってきました。この傾向は、五月人形も雛人形と同じように、女性好みの平和的なものになってきたことを反映しているようです。









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