現代の雛人形の系譜(その5)
昭和11(1936)年には、改組第1回帝展において初めて第四部(美術工芸部門)に人形の出品が認められるようになり、鹿児島寿蔵、野口光彦、野口明豊、羽仁春水、平田郷陽、堀柳女の6名が入選を果たします。
こうして公に秩序づけられた美術界の中に処を得たことにより、人形は芸術の一分野として大きく発展を遂げました。
この昭和初期の一連の動向を、後の世の人たちは『人形芸術運動』と呼んでいますが、この運動を通して雛人形にも、芸術性を帯びた鑑賞用としてのあり方が完全に具備されたということができます。
そして、この流れは戦後にも確実に引き継がれ、昭和30(1955)年に文化庁により、歴史的芸術的価値を認めてその存続に資するための「重要無形文化財の指定と保持者の認定」が行なわれた際に、人形の分野からは平田郷陽と堀柳女のふたりが認定を受けました。
その後、昭和36(1961)年には、鹿児島寿蔵が認定を受け、更に昭和41(1966)年には、私の祖父である原米洲の創り出した『人形の胡粉仕上の技法』が「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として認定されました。
平安時代の“ひいな遊び”から始まった雛人形は、祓(はら)いの道具である「ひとがた」の呪術的(じゅじゅつてき)要素を受け継ぎ、そして昭和の『人形芸術運動』を通して芸術性を具備することにより、世界に誇るべき雛人形として現代に至っています。


ふらここ























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