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2008年12月

2008年12月23日 (火)

天皇陛下のお誕生日を心よりご祝福申し上げます

H2012232_2今日12月23日は、天皇誕生日です。そして、75歳の誕生日を迎えた天皇陛下を祝福する一般参賀が皇居で行なわれました。

最近は体調を崩され、一部の公務を取りやめていた陛下ですが、今日は皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と共に、午前中に3回、宮殿・長和(ちょうわ)殿のベランダに元気なお姿をお見せになりました。
※ 天皇陛下お誕生日に際してのご近影(画像提供 / 宮内庁

宮内庁によると、今日お祝いのために皇居を訪れた人は2万2,655人で、ご即位されてから最も多かったそうです。

そして夜には、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻、そして黒田慶樹さんと清子さんが御所に集まり、両陛下とご夕食を共にされました。

ふらここスタッフ一同も、陛下のお誕生日を心よりご祝福申し上げます。

2008年12月22日 (月)

ふらここ特別展示会2日目、大盛況でした!

今日は、ふらここ特別展示会の中日です。2日目を終えて、あと1日を残すのみとなりました。思いの外、多くのお客様にご来場いただき、雛人形をお求め戴きました。

2008_12220001小さなスペースですが、こじんまりした綺麗なお部屋に、大きめの会議テーブルを4台レンタルして、手づくりのテーブルクロスをかけて展示台にしました。

メインの雛人形はおおよそ飾ることができたので、ご来場いただいたお客様には一様にご満足いただけたようでした。

2008_12220002 とてもありがたいことに、皆さん“インターネットやカタログで見るよりも、実物の方がずっと素敵ですね!”と仰ってくださり、即決で雛人形をご購入くださった方も大勢いらっしゃって、本当に感激しました。

ご遠方からご来場いただいた方々には、心より感謝を申し上げます。

そして、“来年の年明けに見ることができませんか?”というお問い合わせも沢山いただいているので、1月初旬にもう1回だけ開催を検討中です。
決定したら、すぐにふらここサイトでお知らせいたします。

それでは、明日の最終日も多くのお客さまのご来場をお待ちしております。

2008年12月21日 (日)

ゆず湯とかぼちゃで風邪を撃退!

今日12月21日は「冬至(とうじ)」。「冬至」とは二十四節気のひとつで、今日から「小寒(しょうかん:1月5日)」までの期間を指します。そして今日は、一年中で最も昼が短く、夜が長い日です。

冬至といえば「ゆず湯」ですが、昔から“冬至の日にゆず湯に入ると風邪をひかない”と言われています。

Yuzu081128_2 柚子(ゆず)は精油成分を多く含み、血管を拡張させ血行を促進させる効果があるため、風邪の予防はもちろん、冷え性や美肌にも効果があります。
また、柑橘系のさわやかな香りは、リラックス効果も高いので、ふらここでも、今日はゆっくり「ゆず湯」に入り、一年間の疲れを取ることに致します!

Pumpkin_2 そして、冬至の日に、もうひとつ忘れてはならないのが、かぼちゃです。“冬至の日にかぼちゃを食べると風邪をひかない”という言い伝えがありますが、夏に収穫されながら、冬まで保存しても栄養価が落ちないかぼちゃは、冬の重要なビタミン源です。

今日は、ゆず湯とかぼちゃのダブル効果で、流行の兆しを見せ始めたインフルエンザも撃退です。
そして、いよいよ活況を呈してきた雛人形商戦を頑張って乗り切って参ります。

2008年12月20日 (土)

明日から3日間、ふらここ雛人形特別展示会 開催いたします

明日12月21日(日)から23日(火)までの3日間、
ふらここ
雛人形をご覧いただける簡単な展示スペースを、
私共の日本橋オフィスの近くにご用意させていただきました。

当初、雛人形を実際にご覧いただく予定はございませんでしたので、
急遽ご用意させていただいた小さなスペースですが、
ご都合が宜しければ、是非共、ご来駕いただければ誠に幸いに存じます。

なお、誠に恐縮ではございますが、スペースの都合上、展示期間を下記の通り、
限定させていただきます。何卒、お許しいただきますようお願い申し上げます。

              記

展示日時 : 平成20年12月21日(日)~23日(火)
         午前10時~午後5時

場所  :  東京都中央区日本橋堀留町1-1-9 石原ビル2階
        ※
詳しい地図はこちらから

交通機関 : 都営地下鉄浅草線 人形町駅 徒歩5分
          東京メトロ日比谷線 人形町駅 徒歩5分
          東京メトロ銀座線 三越前駅 徒歩7分
          東京メトロ半蔵門線 三越前駅 徒歩7分

会期中の連絡先 : 携帯090‐1201‐1780(原 英洋)

皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。

2008年12月19日 (金)

雛人形と五月人形(その4)

明治時代になり、新政府により五節句の廃止が発令されると、ひな祭り同様に端午の節句も急速に衰えてゆきました。

しかし、ひな祭りがそうであったように、端午の節句も次第に活気を取り戻してゆきます。

1704_3 その様子を、明治時代中期の生活風俗を記録した『東京風俗志』(平出鏗二郎 著)は次のように記しています。

五月五日の菖蒲節供も、維新の後 頓(とみ)に廃れしを、近年漸を追うて興れり。家々にて男の子あるは冑人形(かぶとにんぎょう)、座敷幟(ざしきのぼり)を陳(つら)ねて飾る。冑人形は一に五月人形ともいいて、一人立には、神武天皇、日本武尊(やまとたけるのみこと)、源頼義、八幡太郎義家、源義経、加藤清正、関羽、鍾馗等、二人立には神功皇后と武内宿禰(たけのうちのすくね)、山姥(やまんば)と金時、牛若と弁慶など多し。

                                              ※ 明治時代の「菖蒲太刀(しょうぶだち)」(吉徳これくしょん)
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平成の現代でも、五月人形は多くの人たちに愛し続けられています。

そして、兜や鎧と人気を二分する五月人形は、ひと昔前に比べて優しいわらべ顔のものが主流になってきました。この傾向は、五月人形も雛人形と同じように、女性好みの平和的なものになってきたことを反映しているようです。

2008年12月18日 (木)

雛人形と五月人形(その3)

江戸時代になると、端午の節句は武家を中心に益々盛んになり、菖蒲兜(しょうぶかぶと)と呼ぶ模造の飾り兜や薙刀(なぎなた)・毛槍(けやり)などの武具類、そして幟(のぼり)などを人目に触れる野外に数多く立てるようになります。
そして、民間でもそれをまね、甲冑(かっちゅう)を着せ太刀(たち)を持たせた兜人形や馬などを盛んに屋外に立てるようになります。

Img_sekku03_3江戸時代の中期には、端午の節句の飾りは室内にも行なわれるようになり、演劇に取題した当時はやりの武者人形が多く登場します。
また、この頃から、町家では武者絵幟(むしゃえ
※錦絵『江戸砂子年中行事』端午之図 楊州周延 作(吉徳これくしょん)のぼり)や鯉幟(こいのぼり)を立てるようになりました。

江戸時代の後期には、屋外の飾りをやめて、小さく仕立てたものを屋内に飾る座敷飾りが中心になります。
節句の飾りが室内中心になると、甲冑(かっちゅう:具足)飾りよりも見栄えのする人形類が中心となり、その種類も次第に増えてゆきました。

当時、盛んに飾られた五月人形には、神功皇后と武内宿禰(たけのうちのすくね)、源義光(みなもとのよしみつ)と金時、八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)、牛若丸と弁慶、加藤清正、関羽、鍾馗(しょうき)などがあります。

また、この頃から端午の節句は男の子の誕生を祝う行事となり、奥まった座敷に五月人形を飾り、その後方には枠台に幟(のぼり)や槍(やり)などを立て、そこに粽(ちまき)を添えて祝いました。

2008年12月17日 (水)

「羽子板市」で厄をはねる!

今日12月17日から19日まで、浅草寺(東京)で「羽子板市」が開かれます。

R031501_2 羽子板市が開かれるのは全国でも東京だけのようですが、かつては正月用品を揃えるための 歳の市が開かれ、想像を絶する程の賑わいを見せたようです。

江戸時代後期、天保年間(1830~43年)頃から羽子板屋が姿を見せ始め、明治時代になると、歌舞伎人気の非常な高まりと共に、その年の当たり芝居の名優らの顔を写した押絵羽子板が大変な評判となり、羽子板市は益々            ※ 江戸時代の浅草の歳の市(『東都歳時記』より)盛んになってゆきました。

昭和16(1941)年に大東亜戦争が始まると、歳の市は停止となり、戦後は羽子板市のみが開かれるようになり今日に至っています。

ひと昔前には、正月にはあちこちで、羽根つきをする子供たちの姿が見られたものですが、今ではすっかりなじみが薄くなってしまいました。

新春に羽子板で羽根をつくことには、「厄(やく)をはねる」という意味があります。
また、子供のいる家庭では、正月に羽子板を飾りますが、羽根の黒くて堅い玉は“むくろじ”という大木の種子でできていて、漢字で「無患子」とかくことから、「子が患(わずら)わ無い」という意味があります。

Main今日はあいにくの雨模様でしたが、明日と明後日は晴れの予報です。
ふらここも、明日は羽子板市に繰り出そうと思っています。お近くにお住まいの方は、是非、年の瀬の風物詩・羽子板市にお出かけになってみてはいかがでしょうか!

※ 画像提供 / 浅草観光連盟

2008年12月16日 (火)

雛人形と五月人形(その2)

Hanash11_2 端午の節句は中国から伝わった行事ですが、古代中国では、この日に野に出て薬草を摘(つ)む風習がありました。
そして、蓬(よもぎ)で作った人形や、菖蒲(しょうぶ)で編んだ薬玉(くすだま)を軒先に飾り、菖蒲酒(しょうぶざけ)を飲むなどして、身の穢(けが)れを祓(はら)いました。


Sitagasane_3日本にもこの風習が伝わり、宮中でも奈良時代には、端午の節句に野山に薬草を摘みにゆく行事が行なわれるようになります。

梅雨時は体調を崩しやすい時期であり、強い香気を持つ蓬(よもぎ)や菖蒲(しょうぶ)の葉は魔を祓(はら)い清める力があると信じられていたことから、屋根に葺(ふ)いたり、髪や冠に挿(さ)して用いました。


※ 平安時代の公卿装束(くげしょうぞく)。冠には藤の花を挿(さ)しています。
「紫式部日記 束帯」より (『重修 装束図解 服制通史』関根正直 著)


このように特に農事と深く結びつき、梅雨時の祓(はら)いの行事として始まった端午の節句は、鎌倉時代の武家社会の世の中になると大きく変容を遂げ、「菖蒲(しょうぶ)」が「尚武(しょうぶ)」に通じるという縁起から、武士が流鏑馬(やぶさめ)などを行なう勇壮な行事となります。

そして、室町時代には兜人形なども作られて、端午の節句は男子の強健な成長を祈る行事として発展してゆくことになります。

江戸時代になると、五月人形雛人形と同様に広く庶民の間にも広まり、さまざまな五月人形が作られるようになります。

2008年12月15日 (月)

雛人形と五月人形(その1)

五月人形雛人形と同様に節句に飾る人形ではありますが、両者は全く違った環境の下で発達を遂げてきました。

雛人形は、長い歴史の中で主に公卿(くげ)社会を中心に引き継がれてきたのに対し、五月人形を受け継いできたのは武家社会です。

それは鎌倉時代の武家社会の成立以降、男の子の強健な成長を祈る対象として、武具を中心に飾られるようになり、その伝統が今日まで続いています。

日本の伝統行事の中で、この端午の節句ほど本来の意味合いから大きく外れて発展してきたものはありません。

Eyes0058_2もともと端午の節句は、田植えに先立ち、田の神に豊穣(ほうじょう)を祈る行事として行なわれていました。

旧暦の五月は、梅雨(つゆ)真っ盛りの時期に当たります。そしてこの月は、稲の若苗を田に植える大切な農事が行なわれる季節でもあります。

豊穣(ほうじょう)をもたらす田の神を迎えるために、早乙女が巫女(みこ)となり、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)で葺(ふ)いた屋根の下、敷き詰めた香りの高い草の上で一晩を過ごし、翌日の田植えに備えて身を清めました。

端午の節句とは、このように本来は女性が中心の行事だったのです。

2008年12月14日 (日)

世界へ羽ばたく『忠臣蔵』

今日12月14日は、「義士祭」。忠臣蔵でおなじみの赤穂浪士(あこうろうし)が吉良邸に討ち入りを果たした日です。

江戸時代中期、第5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の時代。元禄14(1701)年2月4日、江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主である浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が、高家旗本(こうけはたもと)の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に斬りかかったことが事件の始まり。

800pxkuniyoshi_utagawa2c_the_chus_2 浅野は切腹となり、吉良にはおとがめなしとされたことを不服とし、大内内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)を筆頭に赤穂藩の旧藩士47人(赤穂浪士)が、元禄14(1703)年12月14日に本所にある吉良邸に討ち入りを果たしました。

その後、幕命により浪士たちは切腹となり、その遺骸は主君浅野内匠頭長矩と同じ泉岳寺(東京)に埋葬されました。                 ※ 『忠臣蔵十一段目夜討之図』歌川国芳 作

この事件が歌舞伎や人形浄瑠璃で演じられるようになると、たちまち庶民の人気を呼び、客が不入りの時でも忠臣蔵を出せば当たるといわれるほどの人気だったようです。

現代でも、映画化やテレビドラマになった作品は数限りなく、そして、来年にはハリウッド版忠臣蔵『47 Ronin』がクランクイン。主演は、『マトリクス』で一大センセーションを起こしたキアヌ・リーヴス。さてさて、どんな作品になるのでしょうか・・・

ふらここ代表の私は、何を隠そう『マトリクス』とキアヌ・リーヴスの大ファンなので、公開される日がものすごく待ち遠しい!早く見たいです!!

2008年12月13日 (土)

「煤払い(すすはらい)」で福の神を呼び込む!

今日12月13日は「煤払い(すすはらい)」。正月を迎える前に、一年の煤(すす)を払って家中の清掃をする日です。
全国の神社仏閣でも、師走(しわす)恒例の煤払い(すすはらい)を行なったようです。

F0122653_1232263_4 現在では、年末に大掃除を行ないますが、江戸時代には12月13日を将軍家の「煤払い(すす はらい)」の定日とし、武家でも町家でもこの日には大掃除を行ないました。

※ 『武家煤払いの図』 喜多川歌麿 筆
  (東京国立博物館 蔵)

昔は、囲炉裏(いろり)で薪(まき)を燃やす暮らしであったため、家中のあらゆるところに煤(すす)が付着していたので、この「煤払い(すすはらい)」はとても大切な行事でした。

また、この日は「事始め(ことはじめ)」といって、正月の準備を始める日にあたります。

「事始め(ことはじめ)」の日に行なわれる「煤払い(すすはらい)」は、単なる大掃除というだけではなく、歳神様(としがみさま:新しい年の五穀の豊作をもたらす神様)をお迎えする準備としての神聖な行事であった訳です。

そして、特に竈(かまど)には「荒神様(こうじんさま)」という神様が宿ると信じられ、竈(かまど)が汚れているとその家の運が下がるといわれて、念入りに掃除が行なわれました。

現代でも、台所の掃除はとても大切な仕事。幸運を呼び込むためにも、是非共、念入りに行ないたいものです。

そこで、お役立ちグッズとしてお勧めなのが、重曹(じゅうそう)とお酢。

ガス台や換気扇まわりは、重曹を振りかけてしばらく置いておくと、しつこい油汚れもすっきりと落ちてしまいます。

また、流し台やポットなどの水垢(みずあか)汚れには、薄めたお酢が効果的。さっと拭き取るだけでピカピカになるので、お試しあれ!

それでは、ふらここも新しい年の福の神を呼び込むために、大掃除、大掃除。

2008年12月12日 (金)

「桃の節句」に深い祈りを込めて!

ひな祭りは、「桃の節句」とも呼ばれ、旧暦のひな祭りの頃はちょうど桃の開花の季節です。

Momo0017_2桃の原産地は中国ですが、日本には3000年以上も前に伝わった、とてもなじみの深い樹木です。

中国では、桃の実は仙果と呼ばれ、邪気を祓(はら)い不老長寿をもたらす仙人の果実として珍重されてきました。 20080426080920_2 そして、祝いごとには桃の実をかたどった「壽桃(ショウタオ)」と呼ばれる饅頭(まんじゅう)を食べる習慣があり、日本でも桃饅頭の名で知られています。

そして日本でも古くから、桃には邪気を祓(はら)う特別な力があると信じられてきました。

『古事記』の中には、伊邪那美尊(いざなみのみこと)に会うために黄泉(よみ)の国に行った伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)が、桃の実を投げて難を逃れる神話が登場します。

また『桃太郎』は、桃から生まれた男の子が、成長して鬼を退治する有名なお伽噺(おとぎばなし)です。

ひな祭りとは、季節の変わり目にやってくる邪気を祓(はら)い、新しい季節を晴れやかに迎える儀式。桃の花には、子供の厄(やく)を祓(はら)い、健やかな成長を願う、深い祈りが込められています。

そして雛人形を飾り、家族揃って子供の健やかな成長を祝います。

2008年12月11日 (木)

『うれしいひな祭り』を楽しむ!

ひな祭りを題材にした歌は幾つかありますが、その中で最もよく知られた歌は、やはり『うれしいひな祭り』でしょう。

この歌は、昭和11年に河村光陽さんの作曲、山野三郎さん(サトウハチローのペンネーム)の作詞で作られました。

河村光陽さんは、明治30年に福岡県に生まれた童謡作曲家ですが、『かもめの水兵さん』や『グッドバイ』など千余曲の名作を残しました。

サトウハチローさんは、明治36年に、人気少年小説作家であった佐藤紅緑の長男として東京に生まれた詩人ですが、その破天荒な人生は、異母妹である佐藤愛子の著書『血脈』(文芸春秋刊)に克明に描かれています。

この『うれしいひな祭り』は、最初の夫人と離婚して、引き取った3人の子供たち(娘2人、息子1人)のために書いた詩だといわれています。

母親のいない子供たちの寂しさを慰めるために、豪華な雛人形を買って帰ったサトウハチローは、飾り方が分からずに一晩かけて雛人形を飾ったそうです。

そんなこともあってか、この曲にはどこか物悲しさが漂います。

それでは、最後に『うれしいひな祭り』のJAZZバージョンをお楽しみください。

 〉〉284ohinamaturi.midをダウンロード     ※ Music by Gallery Oto

51mhs5zmw3l__sl100__3血脈 (上) (文春文庫)

血脈 (中) (文春文庫)

血脈 (下) (文春文庫)

2008年12月10日 (水)

素晴らしい国、日本を誇りに思う!

今日12月10日は、ノーベル賞授賞式の日。授賞式は、ストックホルム(スウェーデン)のコンサートホールで、現地時間の午後4時30分(日本時間では、11日午前0時30分)から開かれます。

今年は、一度に4人の日本人が選ばれましたが、昭和24(1949)年に物理学賞を受賞した湯川秀樹博士を筆頭に、これで日本人の受賞者は16人になりました。受賞者数では、日本はアジア地域で最多数を記録しています。

受賞者は、物理学賞に南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏の3名。化学賞に下村脩氏の合計4人。
科学研究の最高の栄誉であるノーベル賞を日本人が一度に4人も受賞したのは、本当に素晴らしいことです。

受賞者には、賞状とメダルと賞金が贈られますが、これをカール16世グスタフ国王自らが手渡すそうです。

72daf0af6d675e18f44d08c007b9fe0cちなみに、メダルは直径66㎜、重さは約200gで表面は純金で覆われています。
そして、メダルの裏には賞ごとに刻印がほどこされ、物理学賞と化学賞は共通のラテン語で、「新たに発見された知識によって、地上の生活をよりよくした人」と刻まれているそうです。

ふらここも、この素晴らしい日本の国の文化に根ざした仕事ができることを、とても誇らしく思う今日一日でした。

2008年12月 9日 (火)

雛人形のお顔の不思議?

雛人形の顔には「位星(くらいぼし)」というものを描きます。眉の上に、薄墨でもう一つ眉のようなものを描く化粧法です。

この「位星」は、人形師によって描き方が異なります。

Pic_face_isho_2ひとつは、通常の眉を描いた上に、更に「位星」を書き入れる描き方。
これは、衣裳着雛人形のお顔に多く用いられる描き方です。




Pic_face_mokume_2 もう一つは、通常の眉を描かずに、「位星」のみを描くもの。
木目込み雛人形のお顔には、この描き方が多く見られます。




さて、本当はどちらの描き方が正しいのでしょうか?

そもそも「位星」を辞書で引いても、この用語では探すことができません。
但し、各地の祭礼に登場する稚児行列の子供たちの額には、この「位星」が描かれますから、何か由緒ある化粧法なのでしょう。

また、歌舞伎にも、公卿(くげ)や身分の高い人の化粧法として、この「位星」が用いられます。
有名な演目では、『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』に登場する「一条大蔵卿(いちじょうおおくらきょう)」や「常磐御前(ときわごぜん)」。
『六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)』の「在原業平(ありわらのなりひら)」と「小野小町(おののこまち)」などなど。

公卿や女官など、宮中では、自前の眉は剃り、それより上部に眉を引き直していたそうですが、でも何故か『源氏物語』には、それらしい記述が出てきません。

どなたかご存知の方がいらしたら、是非お教え戴ければ誠に幸いに存じます。

2008年12月 8日 (月)

感謝と上達の願いを込めて「針供養」

今日12月8日は、「針供養」の日。「針供養」とは、一年間に使った古い針を供養して、裁縫の上達やけがのないように祈る行事。
関西地方では12月8日、関東地方では2月8日に行なうのが一般的です。

江戸時代の明暦年間(1655~57年)には、既に「針供養」が行なわれていた記録が残っており、和歌山県和歌山市加太にある淡嶋神社が起源だといわれています。

02e01この日、各家庭では針仕事を休み、折れたり曲がったりした針を豆腐やこんにゃく、または餅などに刺して供養します。

豆腐やこんにゃくに刺すのは、柔らかいものに刺して針に楽をさせ、日頃の労をねぎらい感謝するという意味です。

現代では、家庭で針仕事をすることもほとんどなくなってしまいましたが、洋裁・和裁の学校では、今でも「針供養」は大切な行事として行なわれています。

雛人形の制作にも、針仕事は欠かせません。ふらここでも今日はしっかり針に感謝して、今後の雛人形制作の上達を祈りました。

2008年12月 7日 (日)

暦通り、いよいよ冬将軍の到来です!

今日12月7日は「大雪(たいせつ)」。「大雪」とは、二十四節気のひとつで、今日から「冬至(とうじ:12月21日)」までの期間を指します。雪が激しく降り始め、山々は雪の衣を粧って冬の姿となる季節です。

D60_a2053暦通り、今日は全国各地でこの冬一番の寒さを記録し、九州や四国地方でも雪模様のようです。

いよいよ本格的な冬将軍の到来ですね!

さて、風邪が流行っているようですが、やはり予防にはうがいが一番です。私は、外から戻った時は、殺菌作用のある塩水でうがいをしています。

ただし、塩分が余り強過ぎてもかえってのどの粘膜を痛めてしまいますから、ほどほどの塩分で、更に少量のお酢を加えると効果が倍増します。
そして、続けて3回のうがいが大切。

これだけでも十分に風邪の予防になります。

これからの時期は、いよいよ雛人形の売出しが忙しくなります。風邪には呉々も注意して、元気いっぱいに頑張ります。
皆様、今後共、ふらここ雛人形五月人形をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2008年12月 6日 (土)

今年の「変わりびな」は?

今日12月5日、東京の木目込人形メーカーである真多呂人形が、恒例の「変わりびな」を発表しました。毎年の世相を雛人形で表現したものですが、昭和21(1946)年に始まり、今年で63回目になります。

さて、それでは今年の「変わりびな」は?

麻生太郎首相と首相お気に入りの秋葉原のシンボルであるメイドを並べた『政局混乱雛』。金融危機で暗い表情のブッシュ米大統領と物価高で恨めしそうな顔をした主婦を並べた『世界経済危機雛』。水泳の北島康介選手とソフトボールの上野由岐子選手を並べた『北京五輪金メダル雛』。
その他、『メタボ追放雛』、『おばかキャラ雛』、『異常気象雛』の6作品を公開しました。

20081205k0000e040024000p_size5暗い世相が気になる今年の「変わりびな」ですが、同社の金林健史社長は「来年は麻生首相にひと頑張りしてもらい、明るい年にして欲しい」と話していました。

ちなみに、金林社長とふらここ代表の私は、高校時代の同級生。お互いに、この暗いご時勢を頑張って乗り切ってゆきたいものです。

※ 画像提供 / 毎日jp

2008年12月 5日 (金)

ふらここの雛人形がびっくりするほど可愛い理由

可愛い赤ちゃんのお顔を制作するために、赤ちゃんの基本的な顔の構造を理解しておくことはとても大切です。

あご、耳、口、鼻、目という顔の各部の位置や大きさについて、赤ちゃんの顔はどのような構成になっているのか、また成人の顔の構成とはどう違うのか、そして、可愛い顔とそうでない顔とは何が違うのか、などの知識があれば、そこにデフォルメを加えて、いっそう可愛いお顔をつくり出すことができます。

例えば、成人の場合、一般的には頭頂からあごの先までのちょうど半分の位置に目があります。それに対し、1歳児の場合は半分の位置にあるのは眉です。

4897 そのため、顔の造作の上下の距離が短い分だけ、顔の横幅が広く見えます。

また、赤ん坊の頭部はまだ骨の構造が未発達なため、頭蓋骨に比べて顔の造作は全体的に小さめです。

但し、虹彩(こうさい)だけは十分に発達しているので、目は比較的に大きく見えます。そして、小さめの頭部に大きく見える目があるため、成人に比べて二つの目が離れて見えるのです。

このような知識を元に、後はできるだけ多く赤ちゃんの顔を見ること。すると可愛い顔とそうでもない顔の構造の違いが次第に分かってきます。

その上で、もっと可愛いお顔になるようにデフォルメを加えると、はい!可愛い“ふらここのできあがり ♪♪♪

これが、ふらここ雛人形がびっくりするほど可愛い理由です。

2008年12月 4日 (木)

雛形と雛人形(その2)

ひいな遊びを楽しんだ平安時代の昔から、人形は単なる玩具ではなく、楽しみながら日常生活のあれこれを学ぶ教育的な側面がありました。

江戸時代になると、有職故実にならった雛人形が作られるようになり、雛道具も貴族の婚礼調度をそっくり模したものが整えられるようになります。

それゆえ、大名家や旧家に伝えられている雛人形を見ると、江戸時代の婚礼調度や奥向きの日常を知ることができます。

昔から日本の雛形には教材としての側面がありますが、雛人形も雛道具も、娘に対する親心がこめられた教材としての雛形であった訳です。

_dsc4642_7 雛人形が単なる形だけのものではなく、そこに「生命」があるという日本人独特の精神性がなかったならば、雛人形がこれほどまでに長い年月にわたって脈々と受け継がれ、今日まで残ることは決してなかったでしょう。

そして現代では、男女一対の仲睦まじい雛人形の姿に、親はどのような雛形としての想いを込め、また娘はそこからどのような想いを受け止めるのでしょうか。

この混迷した世相の中にあって、私たちはもう一度、雛人形に込められて親から子へと代々受け継がれてきた精神を思い起こす必要があるのかもしれません。

2008年12月 3日 (水)

雛形と雛人形(その1)

「雛形(ひながた)」という言葉があります。実物をかたどって小さく作ったもののことですが、模型やミニチュアが現にあるものを模して小さく再現したのもであるのに対し、雛形とは実物を作る前に制作されるもので、それが基本となるもののことです。

古くから日本の工匠たちは、本物を作る前にまず雛形を作ります。これは日本固有の伝統で、雛形の考え方の中心には、日本人の心があります。

それは、ものには「生命」があり、その「生命」を形にして後世に残そうという発想です。だから、まず雛形をつくり、それから実物を作る。そして、その雛形を後世に引き継ぐことによって、技術や知識と共にものの「生命」を伝達する。

雛形を作る意味には、日本人独特のそのような精神性がその根底にあります。

雛形は、染織、建築、彫刻、工芸の分野に数多く残っています。
最古のものとしては、8世紀に建てられた南都七大寺の一つといわれた元興寺(がんこうじ)と、光明皇后によって建立された海龍王寺の二つの五重塔の雛形が、奈良国立博物館に収蔵されています。
共に本物はすっかり失われていても、雛形のみが残っています。

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小田原城をはじめとする多くの城郭は、緻密な雛形が残されていたからこそ、復元が可能になりました。


※小田原城天守閣


また、師匠が雛形を作り、弟子が実物を制作した代表的な例としては、鎌倉時代の仏師・運慶の作品が有名です。
例えば、京都・三十三間堂に祭られている千一体の千手観音のうち、運慶自体が作ったのは二体だけですが、全てが運慶の作であるといわれています。
つまり、雛形の原作者が全体の制作者であるとして今日に伝えられている訳です。

このように、雛形とは非常に重要なものであり、ものが持っている精神性をなんとか形に残して後世に伝えようとする強い想いが、雛形の制作に現れています。

そして、雛人形と雛道具にも、雛形の持つそうした日本人の精神性が大きく反映しています。

2008年12月 2日 (火)

雛人形の鑑賞方法について

日本画家で人形研究家・蒐集家として名高い西澤笛畝氏を父に持つ西澤形一氏が、その著書『日本人形のあゆみ』(芸艸堂刊)の中で、人形の鑑賞方法について触れています。

雛人形選びの一助になると思いますので、ここにご紹介致します。

人形の鑑賞方法はいろいろあるが、手引きとして親しみ易いものを一つ紹介しておこう。それは、自分自身が「無」になって直感で鑑賞する方法だ。直感で被写体を感じる時、被写体の味は素直に伝わってくる。美術工芸品を鑑賞する場合、理論や知識で鑑賞することが多いが、野の花を見てごく自然に感動するように、人形も自然にとらえたらどうだろうか。口を聞かない人形の声も微かに聞こえてくるような気がする。その時人形と対話できるのではないだろうか。

_dsc9692可愛い我が子の初節句のお祝いに、真剣なまなざしで雛人形五月人形を選ぶシーズンが、いよいよやって参りました。

皆様が、素敵な雛人形五月人形と運命の出会いができますことを、心よりお祈り申し上げております。

2008年12月 1日 (月)

ふらここの木目込み雛人形(その3)

木目込人形づくりで最もむずかしいのは、デフォルメ(特徴を誇張して表現すること)の技術です。

デフォルメといっても、極端過ぎると、おもちゃになってしまいますから細心の注意が必要です。

写実的に表現したのでは違和感が出てしまうものを、自然に見えるように表現するのもデフォルメの技術です。

木目込人形は、胴体に貼り付けるように衣裳を着せてゆくため、布地のふわっとした柔らかな素材感を出すことができず、胴体の形だけで衣裳の量感を表現しなければなりません。

ですから、写実性を追うことは木目込人形の特質を失うことになり、象徴的な形にこそ木目込人形の美しさを表現することができるのです。

また、衣裳を木目込むための筋彫りは、単に着物の縮小版をそこに表現するに留まらず、線のもつ造形的な役割に留意して筋を彫る必要があります。

_dsc9583_4 筋を単に布地を固定するためのものと考えるのではなく、日本画の線描のごとく、それによって生まれる装飾性を重視するのです。

そして、筋を境にして衣裳の色彩もいっぺんに変わるので、その点も考慮に入れることが大切です。

また衣裳については、配色ばかりではなく、布地によるさまざまな素材感の違いが全体の雰囲気を大きく左右してしまうので、布地の選定も慎重に行なわなければなりません。

さて、ふらここの想いは、“人形文化を通して、世界中の人々の心をほっと和ませる”こと。

どれだけ多くの人たちが、ふらここ雛人形五月人形から、この想いを感じ取ってくれることでしょうか?