ひな祭り(雛人形)の歴史(その8)
京都で有名な人形師であった雛屋次郎左衛門が、宝暦11(1761)年に江戸に下り、日本橋室町二丁目に店を開くと、雛屋次郎左衛門が創始した『次郎左衛門雛』が、『享保雛』に代わって次第に江戸の人気を独占するようになります。
もともと京雛であった『次郎左衛門雛』は、江戸の地にすっかり根を下ろし、その人気は宝暦に続き、明和、安永、天明、寛政年間まで約30余年間に及び、上下階級に広く親しまれました。
『次郎左衛門雛』の特徴は、丸顔に引目鉤鼻(ひきめかぎばな)。愛らしい丸い顔に切れ長の目と小さな鉤鼻(かぎばな)。そして、ちょこんと紅を置いた小さな口元は、それまでの面長の顔と違い、庶民に親しさを与えました。
男雛の衣裳は、黒袍(くろのほう)に袴(はかま)をつけた公卿(くげ)の束帯(そくたい)姿。女雛は、五つ衣(いつつぎぬ)、唐衣(からぎぬ)に裳(も)の装束です。
江戸の庶民に愛され、いくつもの川柳に詠まれたこの雛人形は、与謝 蕪村(よさの ぶそん:1716~84年)の句にも次のように詠まれています。
たらちねのつまゝずありや雛の鼻
※ 画像提供 / 成巽閣


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