ひな祭り(雛人形)の歴史(その10)
『次郎左衛門雛』が江戸に定着した宝暦年間(1751~63年)に、京都では新しい雛人形が生まれました。有職故実(ゆうそくこじつ)に基づいて、公卿(くげ)の衣裳を正しく雛人形化したもので、明治以降に『有職雛』と呼ばれるようになった雛人形です。
宮中に仕えて公式装束などの調整を掌(つかさど)っていた公卿の高倉家と山科家が調進したことから、当時は『高倉雛』や『山科雛』の名前で呼ばれていました。
※ 山形県鶴岡市「致道博物館」所蔵(画像提供 / 庄内観光コンベンション協会)
衣冠(いかん)姿、あるいは直衣(のうし)姿の雛人形が多く、特に後者の場合は着替え用として男雛には「束帯(そくたい)」、女雛には「十二単(じゅうにひとえ)」を添え、思い思いに着せ替えを楽しみました。
【注1】衣冠(いかん)・・・「衣冠」とは、「束帯(そくたい)」の略装として広く参内(さんだい)に用いられた装束です。「束帯」が「燕尾服」に相当するとすれば、「衣冠」は「モーニングコート」に当たる公服で、自家の大儀である祭典や婚礼などに用いられました。
【注2】直衣(のうし)・・・「直衣」とは、平安時代のエリート貴族の平常服です。一般の公卿が誰でも着られる服ではなく、天皇の信任が篤(あつ)い人、あるいは身分の高い人に限り、天皇の宣旨(せんじ)を賜って初めて宮中への出仕に着られる服です。『源氏物語』には、直衣姿の光源氏が描かれています。


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