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2008年10月

2008年10月31日 (金)

メールニュース『歳時記つうしん』のご購読について

ふらここでは、毎月1日、季節の歳時記や伝統文化についてお伝えする『歳時記つうしん』をメールで配信しています。

Aki_035_3 雛人形五月人形盆提灯などのように、現代でも形に残っている風習や伝統は、四季折々に移りゆく自然の変化と深い関わりをもっています。そんな自然にやさしく奥ゆかしい日本の文化をもっと身近に引き寄せて、折々の歳時記としてご紹介いたします。

画像提供:フリー素材屋Hoshino

季節にちなんだ風習や伝統のすばらしさについて、もっと知っていただき、そして日本をもっともっと楽しんでいただきたい!

そんな思いで書きつづる『歳時記つうしん』のご購読をご希望の方は、下記のお問い合わせフォームよりお申し込みください。

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2008年10月30日 (木)

源氏物語と襲色目(かさねのいろめ)

十二単(じゅうにひとえ)など、衣服を重ねて着る時の重ね着の色の配列を「襲色目(かさねのいろめ)」といいます。

平安時代の貴族たちは、自然の美しさをこの上なく愛し、四季折々の風物に合わせて衣服の色の組み合わせを楽しみました。季節によって衣服に使用する色には決まりがあり、貴族の女性たちは、この「襲色目(かさねのいろめ)」を大切な教養のひとつとしていました。そして才智を結集し、衣裳の袖口などに表れる彩色の美しさを競い合いました。

平安文学を代表する紫式部の『源氏物語』にも、四季折々の風物と調和した「襲色目(かさねのいろめ)」の美しさが随所に描かれています。

Cp_kasane 今でも、この「襲色目(かさねのいろめ)」は雛人形の装束に取り入れられ、平安の美を現代に引き継いでいます。

2008年10月29日 (水)

蛤(はまぐり)と貝桶(かいおけ)

行器(ほかい)にとても良く似た雛人形のお道具に、「貝桶(かいおけ)」があります。

P12_2_2 貝桶(かいおけ)とは、「貝合わせ」に使う蛤(はまぐり)の貝殻を入れておく容器一対のこと。貝合わせとは、蛤(はまぐり)の内側に描いた絵をふたつ合わせる遊びです。 
                                                                                                                                          ※画像提供 / 風俗博物館

Image_2_3 蛤(はまぐり)は二枚の殻が一対となり、他の殻とは決してぴったりと合わないことこら、夫婦の仲の良さを象徴する、めでたい貝とされています。

そのため貝桶(かいおけ)は、輿入(こしい)れの際に婚礼調度の行列の筆頭を飾るほど、とても重要なお道具でした。

そして、平安時代の貴族たちは、蛤(はまぐり)の内側に描かれた揃いの絵柄を合わせて遊ぶ貝合わせを楽しみました。

2008年10月28日 (火)

上巳(じょうみ)の節句と曲水の宴(きょくすいのえん)

平安時代に宮廷貴族のあいだで行なわれていた“ひいな遊び”は、紙などで貴族の姿を作り、貴族の暮らしをまねる飯事(ままごと)遊びのようなものでした。

10歳くらいまでの子供たちが男女を問わず、人形やミニチュアの御殿や食器などをこしらえて、殿上(てんじょう)への参内(さんだい)ごっこや宴(うたげ)ごっこをして遊んでいました。

この“ひいな遊び”と、身の穢(けが)れを人形(ひとがた)に移して水に流す祓(はら)いの行事とが結びついて、『上巳(じょうみ)の節句』として定着したのが、現在のひな祭りの起源です。P11_1s_4






※ 『曲水宴屏風』
(画像提供 /     風俗博物館

この『上巳(じょうみ)の節句』が中国から伝来したとき、「曲水の宴(きょくすいのえん)」という風習が日本に伝わり、宮廷で催されるようになります。「曲水の宴(きょくすいのえん)」とは、穢(けが)れを祓(はら)った水辺で杯(さかずき)を流し、杯が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を詠むという行事です。

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現代でも、雛道具の中に、草餅などを入れて持ち運ぶ「行器(ほかい)」というお弁当箱が含まれているのは、野外での行事用という訳です。

2008年10月27日 (月)

『ふらここアルバム』にお客さまの声を掲載いたしました

今年のひな祭りに、ふらここ雛人形をお求めいただいたお客様から、初節句の思い出のお写真と文章をお送りいただきました。

そして、ふらここのホームページに『ふらここアルバム』として、掲載をさせていただきました。

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 ⇒ふらここアルバムを見る



ふらここのお人形は、一度手にしたら忘れられない可愛らしさ。細面で大人びたお顔ではなく、親しみやすくてあどけない、そう、まるで赤ちゃんのような“ふらここ顔”。

雛人形五月人形も、お子さまの初節句から何年も何十年もずっと一緒に過ごす宝物として大切に飾って欲しいから。だからこそふらここは、見る人、手にとる人の心をいやす赤ちゃんのお顔に近づけたいと考えているのです。

ふっくらとした“ふらここ顔”のお人形が、お部屋をぱっと明るく彩り、たくさんの温かい思い出のお手伝いができますように。

それがふらここの願いです。 

2008年10月26日 (日)

端午の節句(五月人形)の歴史(その2)

端午の節句の意味合いは、時代と共に少しずつ変化をしていますが、現代では、子供の健やかな成長を祝うお祭りとしてすっかり定着しています。

端午の節句は、もともとは中国の古い風習が日本に伝わったものです。その風習が、日本で古くから行なわれていた厄災を祓(はら)うための行事と融合し、奈良時代には宮中の正式な行事(節会)として位置づけられました。

Yabusame_a03320 平安時代には、宮廷ではこの節会(せちえ)に、邪気を祓(はら)う儀式として騎射(うまゆみ:走る馬から的に向けて矢を射る儀式)が行なわれるようになります。

鎌倉時代の武家政治の世の中になると、朝廷の端午の節会の儀式は廃(すた)れます。しかし、武家社会では、尚武(しょうぶ)の気風が強く、尚武と菖蒲(しょうぶ)をかけて、尚武の節日として祝うようになります。

そして、菖蒲や蓬(よもぎ)を屋根や軒下に吊るし、野外には甲冑(かっちゅう)や刀、槍(やり)などの武具や幟(のぼり)を飾りました。

また、菖蒲酒や菖蒲湯の風習もこの頃から始まりました。

こうして鎌倉時代に、現代の端午の節句の飾り物の原型ができ上がったという訳です。

※流鏑馬の画像提供 PhotoMiyazaki宮崎観光写真

2008年10月25日 (土)

端午の節句(五月人形)の歴史(その1)

今では「こどもの日」となった5月5日。でも、本来この日は、「端午の節句」といい、男の子の健やかな成長を願う日です。

端午の節句は、もともとは中国の古い風習が日本に入ってきたものです。中国では、今でも陰暦の5月5日が「端午節」という祭日になっていて、皆で粽(ちまき)を食べ、菖蒲酒を飲み、そして、ドラゴンボート・レースに興じます。

端午の節句の歴史は古く、奈良時代(約1250年前)から始まります。

Image_2五月は、田植えの関係から、古来より非常に重要な月とされていました。そのため日本には、「五月初めの午(うま)の日に、蓬(よもぎ)で作った人形や特別な力があると信じられていた菖蒲(しょうぶ)を家の門口にぶら下げて、邪気を祓(はら)う」という風習だけが、中国から伝わりました。

2008年10月24日 (金)

ひな祭り(雛人形)の歴史(その2)

ひな祭りの歴史は、平安時代から始まり、千年以上も続いています。

お祭りのやり方は時代と共にさまざまに変化してきていますが、根底に流れる「心」は今も昔も変わりません。昔の人たちは、節句という節目の行事を通して、その「心」を親から子へと綿々と伝えてきました。

それでは、現代社会では、ひな祭りを通してどのような「心」を学ぶことができるのでしょうか?東京都知事である石原 慎太郎氏の著作の中から、その「心」について見てみましょう。

石原 慎太郎氏が2001年に上梓した『いま 魂の教育』(光文社刊)という本があります。この本は、「世界で最も豊かな、世界で最も不幸な子供たち」になってしまった日本の子供たちを憂いて書かれた作品です。

この本の中で石原氏は、「女の子のために雛人形を飾って祝う雛祭りは、日本人の民族のひとつの優雅な性情を語る伝統的でじつにユニークな催しだ」とした上で、子供のころに他家の雛祭りに招かれていった時のエピソードに触れて、ひな祭りを次のように位置づけています。

それはある意味で、女の子にとってはある分野における男に対する女の優位を教える意義深い祝日に違いない。いずれにしても、その日に男の子、女の子が知らなくてはならないことは、女性の特質が優雅さ、雅さ、やさしさについてであり、それがあるからこそ、男性の特質である猛々しさ、勇敢さといったものと均衡がとれた世界があり得るということです。

ひな祭りとは、女の子にとっても男の子にとっても、女性ならではの“やさしさ”を意識するための特別な日だという訳です。

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いま魂の教育

2008年10月23日 (木)

「霜降(そうこう)」って何?

今日10月23日は、「霜降(そうこう)」です。

「霜降(そうこう)」とは、二十四節気の一つで、今日から立冬(りっとう:11月7日)までの期間を指します。“露が冷気によって霜となって降り始める頃”ということで、この期間に吹く寒い北風を「木枯らし」と呼びます。

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二十四節気(にじゅうしせっき)とは、一年を太陽の黄道上の位置によって24に分けたものです。日本がまだ旧暦(太陰太陽暦)を使っていた時代には、二十四節気は季節を知る目安として、とても大切な指標でした。

現在、私たちが使っている暦は「太陽暦」といって、太陽の運行を基準にした暦です。これに対して、月の運行を基準にした暦を「太陰暦」といいます。そして、旧暦とは、月と太陽の両方の運行をミックスして取り入れた「太陰太陽暦」なのです。

Photo_2 日本に、この「太陰太陽暦」が伝わったのが聖徳太子の時代ですから、今から1400年も昔のことです。そして、日本が近代化のために、西洋諸国と同じ暦を使う必要性が生じ、それまでの「太陰太陽暦」から「太陽暦」に改暦したのが明治5年(1872年)のこと。ですから、日本は、1300年もの間ずっと「太陰太陽暦」を使ってきた訳です。

そのため、ひな祭り端午の節句など、日本の伝統文化を理解するためには、この旧暦の知識が欠かせません。

2008年10月22日 (水)

ひな祭り(雛人形)の歴史(その1)

ひな祭りは、古くは「上巳(じょうみ)の節句」と呼ばれていました。

上巳(じょうみ)の節句は、元々は中国から伝わった行事ですが、これが日本の古い習わしと結びつき、長い時間をかけて今日のひな祭りになりました。

上巳(じょうみ)の節句が日本に伝わった当時は、身の穢れ(けがれ)や災いを人形(ひとがた)に移し水に流す祓い(はらい)の行事が中心でした。この人形(ひとがた)の面影を現代に留める雛人形が、立雛です。

Image_31_2現代でも、紙などで作った立雛を川や海に流す「流し雛」の風習が、全国のあちらこちらに残っています。

2008年10月21日 (火)

なぜ五月人形を飾るのでしょうか?(日本人形協会の統一見解)

それでは同様に、五月人形について日本人形協会の見解を見てみましょう。 

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                                                 なぜ五月人形を飾るのでしょうか?

長い武家社会の中で、鎧(よろい)兜(かぶと)は男子にとって非常に大切なものでした。戦いの身体防護として鎧・兜は身を守るという大切な役目を持っていました。今日では、その精神を大事にし、鎧・兜が、“身体を守る”ものという意味が重視され、交通事故や病気から大切な子供を守ってくれるようにという願いを込め五月人形として飾られています。

                                                              男の子の誕生を祝い、無事に成長して、強く、立派な男子となるようにとのご家庭の願いがあります。つまり、鎧、兜が身を守って、その子の災(わざわ)いがふりかかりませんように、受験・就職・結婚など、人生の幸福に恵まれますようにという思いが込められているのです。

2008年10月20日 (月)

『恵比寿講』で商売繁盛を祈願!

秋もすっかり深まり、そろそろ紅葉の美しい季節です。

また、秋は実りの季節。収穫に感謝して行なわれる秋祭りも全国で活況を呈する時候です。

 

2008_10210026_edited_10 そして、本日10月20日は『恵比寿講』。七福神の一神である恵比寿様は商売繁盛の神様であり、また田の神様として古くから篤く信仰されてきました。

 

2008_10210028_edited_10 『恵比寿講』は、毎年1月と10月の20日に行なわれますが、ここ東京日本橋では前日10月19日からの2日間、有名な漬物市である『べったら市』が開かれます。

 

ふらここのオフィースは、恵比寿様をお祭りする椙森神社(すぎのもりじんじゃ)のすぐ近く。今日は、恵比寿様に商売繁盛を祈願して、べったら市を楽しんできました。

2008年10月19日 (日)

平安時代から続く雛人形

今年は、世界最古の長編小説である『源氏物語』が、記録(『紫式部日記』の寛弘5(1008)年11月1日の条)の上で確認されるときから数えて1000年目に当たります。

この『源氏物語』の「紅葉賀(もみじのが)」の中に、主人公の光源氏が幼い紫の上を相手に、「もろともにひいな遊びし給う」と書かれたくだりが登場します。

この「ひいな遊び」がひな祭りの原点だといわれていますが、雛人形は1000年以上も昔から、宮廷貴族の遊び道具として大切にされていました。

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源氏物語千年紀委員会

2008年10月18日 (土)

なぜ雛人形を飾るのでしょうか?(日本人形協会の統一見解)

社団法人 日本人形協会では、「雛人形五月人形、羽子板・破魔弓、鯉のぼりに関する統一見解」を平成5年8月24日に開催された全国総会で決定しています。

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それでは、日本人形協会の見解を見てみましょう。

なぜ雛人形を飾るのでしょうか?

平安時代のお人形(ひいな)遊びと、紙やワラで作った簡素な人形(ひとがた)に自分の厄(やく)や災(わざわ)いを移して海や川へ流した流しびなの行事が結びついたのが現在の「ひなまつり」です。

ですから、雛人形を飾ることは、生まれた子供が、健康で優しい女性に無事に育つようにとの家族の願いが込められています。つまり、雛人形が身代わりとなってくれてその子に災いがふりかかりませんように、結婚など人生の幸福を得られますように、という家族の温かい思いが込められているのです。

2008年10月17日 (金)

雛人形って、なぜ飾るの?

私は代々の人形師の家系で育ったため、小さなときから当たり前のように雛人形五月人形が身近にありました。

Pic_face1_6 だから、雛人形五月人形のことを特別に意識することもなく過ごしてきた私にとって、“なぜ飾るのだろうか?”ということがとても気になりだしたのは、私自身が人形師としての道を歩み始めてからのこと。

では、なぜ雛人形五月人形を飾るのでしょうか・・・?

さて、このブログでは、雛人形五月人形のことを中心に、素敵な日本の文化や風習について、ひとりの人形師としての立場からお話をしてゆきたいと思います。